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先輩の声

 

100年のその先へ、
軸をしっかり、新たなビジョンを
副社長 辻広昌平

明るいビジョン

「おはようございます」
事務所の朝はこの男の清々しいあいさつから始まる。辻広昌平、職業、副社長。
東京の大手不動産会社を経て、福井に帰郷。現職について2年が経過した。大きな転換期を迎える会社、業界の未来について、日々真剣なまなざしで見つめ続けている。建設投資額が増えず、若手入職者減少などの慢性的な人手不足が続く中、地方中小企業は疲弊している。
「若い人にとって魅力のある業界ではないので、次世代が希望の持てる業界にしたい。皆が同じ方向を見ることが出来たら、さらに大きな力を発揮できる」。
大きな声での毎日の挨拶は、業界を明るくしたいという一つの「ビジョン」の現れなのかもしれない。

宿命と現実

幼少からこの道を歩くことを何となく分かっていた。「社員旅行や、業者さんのバーベキューにも参加させてもらうなどして、建設業と、そこで生きる人たちを身近に感じ、憧れを抱いたのかな。今思えば刷り込まれていたのかも(笑)」。 とは言いながら、あまり真剣には考えてこなかった。東京の大学に進学し、就職活動の時期を迎えたが「やはり実家があるし、どうせ戻るのだから、数年、有名な企業で箔でもつけられたら、くらいの思い」。結果、大変苦労をしたという。「温室育ちで、ハングリー精神も希薄、勘違いしていた、子供だった自分を突き付けられた」。それでも「なんとかなるさ」という気持ちも消えなかった。
近しい人から喝が入った。自分が挑むべき、未来の責任から逃げてはいけない。真剣に向き合わない人間が、背負いきれるものではない、と。「ダメージが大きかった(笑)。未来の自分から逆算して、人生設計を考えたのが大学4年生の4月」。

最初の就職で学んだこと

内定を勝ち取った会社は不動産業だったが「ベンチャー精神が旺盛な会社。下り坂の日本経済、駆け上がるには、人の倍では足りないって言われて(笑)。高度経済成長期の働き方を求められ、カルチャーショックが強かった。内定後は毎日インターンのために出社して、いつ辞めようかしか考えてなかった。まだ甘かったんだな」と振り返る。

何とか踏みとどまれたのは、「こんな情けないまま、福井に帰れるか」、ハングリー精神が生まれていた。「当時勤めていた会社の社長が、『みんなが遊んでいる間、俺は仕事してきたよ』って言う。その考えが今の時代流行らないのは分かっているし、当時は自分も腑に落ちなかった。でも、創業から10数年で上場し、急成長をしている。それは、使命感を持って仕事をしていた結果だと思う」。

使命感を持つとはどういうことなのか。「自分の軸をしっかりと持ち、小さいことからでいいから目標や夢、希望を持ち、それに向かって地道に、前向きに努力をすることじゃないかな。仕事は人間として成長できる場。仕事に真正面からぶつかり、苦労して、切り開いてきた人はみんなかっこいい」。

福井で仕事をするのは幸せ

都会で暮らし、働いた経験をこう振り返る。「給与水準は福井と東京で約1.4倍もの開きがある。しかし、実は住宅地の価格指数も10倍近く違う。福井は、給料水準が低いと思われがちだが、物価を考えればととても豊かなんじゃないかな。待機児童が0であることや、公共サービスの充実、スーパーなどの数も多いことなど、生活を彩るものが多い。そこに福井の良さがあるように感じる」。
大企業は誰でも同じ仕事ができるようにパターン化されており、業務を分割します。その結果、プロジェクトの全体を把握できないことも少なくない。「中小企業はゼロからの仕事がほとんどで、苦労はもちろんあるけど、創意工夫の余地があり、努力したら努力した分だけ、成果やそれに対する評価も見えやすくなる」。
インフラ整備は国民生活の舞台づくり。地元福井で、人々の安全と安心を造り、守りながら、豊かな生活を送るのも、きっと悪くない

言葉の重み

当社は100年企業へ向けて、最終コーナーを立ち上がった。しかし、彼の眼はその先まで見据えている。「次の100年を明るいものにするために、また新しいビジョンを探していきたい。」学生時代、歩くべき道を探せなかった。現実と、幼い自分に真剣に向き合えず、楽観的につぶやいた言葉があった。あの日の自分に喝を入れてくれた人は妻になり、自分も父親になった。軸足を踏み込み、さらに強い自分になるために、日々精進を続けている。
学生時代の挫折から8年、今、改めて呟くその言葉は前向きで、そして力強さすら感じさせる。「真面目にみんなで頑張っていけば、いいことあると信じていきたい。大変だけど、まぁ、なんとかなるさ(笑)」。